田舎コンプレックス

真面目で小難しいことを書く。
 
 
 
私の好きな歌手は大物になってもなお「自分が成長できる世界に生きたい」と歌った。本当にその通りだし、彼が終始腕立て伏せをするだけのミュージックビデオには説得力があった。
 
 
私は2年前、独立と同時に「こんなとこじゃ食ってけねー!」と鼻息荒く地元沖縄を出て東京へと引っ越した。そして上京2日目で花粉症を発症、スピード感に若干引きながらも1年目はどうにかこうにかやり過ごした。
 
今年は計画を練りに練って、花粉の期間フルリモートで仕事が出来るようにし、沖縄にて花粉疎開を実践したのである。
 
で、東京へ戻ってきた。今日。2ヶ月ぶり。
今回は色々と思うことがあったので書き記しておく。
 
 
 
私にはずっと田舎コンプレックスがあった。特に仕事において。
 
沖縄で働くとはどういうことなのか。
 
ことIT事情でいうと、企業はほとんど二次以下の下請け、もしくは県外大手の支店(しかし実際の業務はカスタマーサポート、つまりコールセンター)だ。特に後者は、賃金や地代が安いという理由でどんどん進出してきている。これはもう本当に悲しいし切ない。
もちろん優秀な人も居るが、私の知る限りではそんな人ほど県外へ出て行く。
自主的に何かをすることに無頓着な県民性なので、なかなかリーダーが誕生せず、負のサイクルは変わらない一方だ。
 
私はそういった側面に嫌気が差し、東京で働くことを選んだ。
 
実際に東京で働いてみると、驚くことばかりだった。情報の早さ、クリエイティブ思考な人々、企業のアクティブさ。
ベタに、「世界は広い」と感じた。
目まぐるしく過ぎる毎日が楽しくて仕方がない。自分が成長出来ている実感が日々得られる。ずっとここに居るべきなのでは…と思い始めていた。
 
 
沖縄は相変わらずだった。のんびり、ゆっくり。
 
そんな中、冒頭の曲を久しぶりに耳にした。「自分が成長できる世界に生きたい」。うんうん。
 
…あれ、ちょっと待てよ。
結局これって、私が今「自分が成長できる世界に生きている」と感じてるってことは、成長させて貰える環境に甘んじている、つまりは現状維持でしかないのでは…?
 
 
心が揺さぶられる音がした。
 
本当の意味での「自分が成長できる世界に生きる」とは、そういうことだったのか。
 
 
それからすぐに、初めてちゃんとした人生設計を考えた。
 
私の人生をかけて、逃げずに、向き合ってみようと思う。