焦げた肉、秋

デートに誘われた。

 

友人の紹介で知り合って、長いこと私に好意を含んだ連絡をくれていた男性だ。なかなかタイミングが合わず、ようやくのデートとなった。

 

新宿三丁目で待ち合わせる。よくある「女の恋愛は減点法」ではないが、笑顔で手を振る彼の"体型に合わない服"を見て、早くもああ、となる。

「どこに行きましょうか」

彼は私に問いかける。

誘ってきたのも新宿三丁目を指定したのもそちらなのに、決めてなかったのか…。

「お腹空いているので、ガッツリ食べられるところだと嬉しいです。」

持ち合わせている優しさをフル稼動させ、笑顔で答えた。

 

彼は韓国系の焼肉屋へ案内してくれた。

 

ビールとビールで乾杯をして、お互いの仕事の話や恋愛の話なんかをしながら肉を食べる。食べるのだけど。

浮かれているのか地なのか知らぬが、トングという名の主導権を握る彼は、肉を、焦がしまくる。とにかく全力で、焦がしまくる。

 

「こ、このお肉、もういいかも」

まるでそういうルールでも存在するかのように、もうほとんど全ての肉に対して私がこの台詞を言うまで、彼は焼くのをやめない。

 

気が付けばビールは常温になっていた。

 

 

 

 

「全っ然美味しくなかったし、めっちゃくちゃ疲れた。」

場所は変わり最寄り駅の王将。餃子を待ちながら、私は友人にため息を浴びせている。

「悪い人じゃなくても、確かにそれは嫌だね。」

安堵する。ありがとう、良き理解者よ。

 

餃子が来た。

 

「肉を焦がす男はダメね。肉すらまともに焼けない奴、絶対セックス下手だよ。」

真面目な顔で友人が言うものだから、この上なくビールが美味い。のどごしまでしっかりと感じられる。

 

私たちはこうして週に2日ほど王将で晩を共にする訳だが、最近では「餃子のニンニク抜きますか?」の質問もされなくなった。

 

独りになった帰り道で秋の風を感じながら、王将のような懐の深さを持ちたいと、ほんの少しだけ思った。

ビリリダマ・キッス

そうだった。こんなどうしようもなくて誰にも言えないことをここで書くべきだ。

 

 


私、
なんと、


好きな人と、キッスをした、ぞーーーーーーーーー!!!!!!!

 

 

 

はあ。嬉しくて嬉しくて堪らないよ。


「好きな人とのキッス」ってやつは、もはや爆弾だ。
日常生活のふとした瞬間に思い出しては、頭の中が大爆発し、ぶちぶちと血管を切る。


ビリリダマというポケモンをご存知だろうか。そう、丸い爆弾の彼。キッスをしてからの私は、脳内にビリリダマが多数浮いている状態だ。彼らが日常生活で"じばく"しないよう、理性班を出動させて戦うわけである。そして時折敗れては、私を赤面させる。嬉し恥ずかしさで思考が停止してしまう。まさに自爆。


これまで生きてきた感覚値として、大体1キッスで30ビリリダマくらいを抱えてしまうものだから、私は本クールにあと23回ほど"じばく"によるダメージを食らうことでしょう。

 



薄いヒゲが、心地よかったな。

私たちは田中圭の足の臭いを嗅ぎたい

最初に言っておくがこの記事は「田中圭の足の臭いを嗅ぎたい」という事しか書かれていない。

故に時間が貴重な人は読まない、もしくは排便時に読む、もしくは読まないように。

 

 

 

 

友人と、田中圭はいいよね、という話になった。

タラレバ娘で彼が演じた不倫男は非常に良かった。素朴で愛らしくて憎めなくて、あのキャスティングは本当にスタンディングオベーションものである。その頃から、私と友人の間でブームが止まない田中圭

 

友人は神妙な面持ちを携えて言う。

 

田中圭のさ………………足の臭い、嗅ぎたいよね。」

 


…………………いや、うん、わかるな。解ってしまうな。確実にイケメンなのに、気取らない雰囲気のせいか妙に親近感がある。もし田中圭と付き合ったら、という妄想が違和感なく出来てしまう。足の臭いもなんだか想像が付く。多分殆ど臭わない。

自分の中で落とし込むのに少し時間はかかったものの、「とてもよくわかる。」と返事をした。

 

友人は続けて言い放つ。

 

「ワキの臭いも嗅ぎたい。」

 

いや、ワキって………………わかるわ。ワキ、嗅ぎたいわ。こちらは多分ほんのり汗ばんでいて、湿度を感じる香りがしそうである。

足やらワキやらを嗅ぎたいなんて思う芸能人、間違い無く田中圭ひとりだ。いや、全哺乳類のオスを合わせても、田中圭ひとりだ。唯一無二。


「そして恥ずかしがる顔を見たい。毎日見たい。」

 


っ………わかるっ…!坂口健太郎や西島秀俊のことだって愛しているけれど、足の臭いワキの臭いを嗅いでそれに照れる顔を見たいなんて感情が湧くのは、田中圭、君だけだ!結婚してくれ!不倫でも可!

 

友人は止まらない。

 

「ていうか、良いなと思う人みんな結婚してるんだよね、最近。ほら、前に話したYさんとか、Sさんとか、田中圭とか。」

 

口に含んでいたマンゴージュースを噴き出しかける。待て待て、君もう田中圭がリアルの範疇になってしまっているじゃないか。やばいぞ田中圭。少し下界への"馴染み力"を抑えてほしい。このままでは私の友人が帰ってこられなくなる。

 

  

罪な男だ、田中圭

生き様活力

仕事仲間に、むちゃくちゃカッコイイ奴がいる。カッコイイと言っても、容姿の話ではなく、彼の生き様だ。

 

年齢はもうすぐ40歳。
年齢を微塵も感じさせない程に、パワフルな奴だ。行動的で、グイグイと道を切り拓いていく様に、すごいなあ、カッコイイなあとは元々思っていた。
しかし今日は、彼が"大勢の人を幸せにする様"を一部始終目の当たりにしてしまった。
ついては、誠に勝手ながら本日をもって、「尊敬する人」へと格上げさせていただいた。

 

人生24年目にして、3人目の「尊敬する人」が出来た。下手したら恋人ができるより嬉しいかもしれない。


あまりに心揺さぶられたもので、大真面目に

「あなたの生き様が活力だ」

と本人に伝えてしまった。脳みそから口まで、滑り台を滑るようにスルリと言葉が出た。

 

生き様が活力。


この話を友人にしたところ、「私はあなたの生き方だってそこそこ尊敬しているし、活力も貰っているよ。」と言ってくれた。しかしこんな生き様活力モンスターを見た直後。素直に「ありがとう」なんて口が裂けても言えない。私などただのダンゴムシである。幼児にだって捕まえられる。

 

思い返せば今日は、本件を祝福するかの如く良い事ばかりだった。好きな人は二度も夢に出てくるし、Twitterを眺めていたら友人と同じタイミングで同じ名曲を聴いていて嬉しくなるし、仕事は順調と言えるところまでスケジュールを取り戻したし。極め付け、他人の生き様を見て「頑張ろう」なんて思えてしまったよ。

 

私が人を「尊敬する人」と格付けする時、自分へ課しているルールが一つだけある。それは、"その人の尊敬する部分を追いかける"ことだ。
詰まるところ、私の人生はこれから少しずつ彼を追いかける人生となる。「生き様活力モンスター」を目指す人生として、柔らかなレールが敷かれたのだ。その事実が、今日は眠れないほどに嬉しい私である。

38度5分

ああ、とにかく今の私は体調が悪い。どん底に居る。今日は2回だけベッドから出たのみで、暇を持て余した脳みそが延々と"幸せ"について考えたりしてしまう。

 

東京へ帰ってきた途端やれミーティングに参加しろだの書類がどうだのコンペだの企画だの、ぶち殺すぞといった気持ちになった。仕事は基本的に楽しいと思ってやってきたので、最近の目に余る忙しさにストレスが溜まっている様だ。

お金をたくさん貰えることと、のんびり働くことは、どちらが幸せなのだろうか。お金はあるに越したことはないが、人生においてあまり忙しくしてこなかった私はただただ戸惑っている。分かり易く体調も崩す。

 

ショッピングモールが七夕チックな装いだったもので、短冊に「親孝行したい」と書いて吊るした。後になって考えたが、別にそんなに親孝行したいと思っていないし、それより圧倒的に自分の人生や自分の子孫を幸せにすることにお金を使いたい。親とは仲が良いほうだと思うので、やっぱり私は冷たいのかも知れない。

 

図書館へ行きたい、好きなだけ本を読みたい、映画を見たい、ライブに行きたい。思えば引っ越した先の街すら開拓出来ていない。

 

最近、1ヶ月ぶりに好きな人と話をした。ただのそれだけなのに、その事実は私の頬を緩ませる。


東京へ戻ったら連絡してよ、と言ってくれたので、仕事をなだめた後に食事へ誘うシミュレーションをして、少しだけどん底から浮くことが出来た私であった。

そんなに繊細じゃない

「こないだのアレ、ああ言っちゃったけど、もしあなたが気にしてたら…と思って一週間モヤモヤしてたの。ごめんなさいね。」


割と親しくしているクライアントとの打ち合わせで、こんなことを言われた。
間髪入れず、「大丈夫です!全然大丈夫です!そんなに繊細じゃないので!笑」と私は答えた。少し笑いが起きて、そのまま打ち合わせは進む。


何でもない会話だった。実際一ミリも気にしていなかったし、そもそもそんなこと言われたのも忘れていた。
問題はそこじゃなくて、口からするりと「そんなに繊細じゃない」なんて言葉が出たことである。驚いた。私、いつから繊細でなくなったのだ。その後半日ほど、「そんなに繊細じゃない」は私の心中で反復横跳びを続けた。

 

プッチモニの歌詞ではないが、"繊細"を辞書で引いてみる。


繊細:感情などがこまやかなこと。また、そのさま。デリケート。


私の最後の"繊細"はいつだろうか。記憶フォルダをこじ開ける。
ああ、きっとこれだ。確か中学三年の時、めちゃめちゃ怖い体育教師にソロで呼び出されたことがあった。狭い体育教官室で促され着席し、体育教師が口を開いた瞬間涙腺ダムが決壊した。怒られるかどうかも分からないのに。むしろ褒められるかも知れないのに。なんかもう状況だけで泣いたあの日。あれがきっと、私の最後の"繊細"だ。

 

繊細でなくなったのか?
確かに、自分に向けられる他人の言動に対し、「昔なら怒ってたな」だとか「昔なら落ち込んでたな」なんて思うことが増えた。


たくましくなったし、きっと器も大きくなった。
それでも、繊細さを完全に手放すのは怖い。推測でしかないが、感性が欠落してしまう気がするからだ。感情ではなく感性。そうなると私は職を失い、そのままごろごろと転げ落ちるのだろう。そういう未来が待っている、気がする。

 

自分でこんな発言をしたからこそ、己の心に気配り目配りしてあげよう、と強く感じた一日だった。

0:50のおつまみ

Twitterにおいて、「検索ワードの保存機能」をよく使う。 

所謂"エゴサーチ"の為に使う人が大多数だと思うが、私も例外無く、お仕事で関わっている物々のエゴサワードがいくつか保存されており、いつでもワンタップで検索が出来る様になっている。

に、加えて。一つだけ毛色の違う単語を登録している。

それが、「終電逃した」だ。

 

これを大体0:50頃にチェックするのがいい。0:50はピーク中のピークで、雪崩の如く新着の「終電逃した」ツイートが更新されていく。


別に終電を逃した民を遥か天上にある自宅から嘲笑っている訳ではない。終電を逃した一人一人、そこには様々なショートストーリーが存在するもので、これを見るのがとても好きなのだ。

あー、ふふ、みんな楽しかったのね…君はギリギリまでお仕事だったのか、頭が上がりません、お疲れ様です…。

 

私という人間は日課の如く酒を飲むわけだが、家で飲んでいる時はセブンのチータラと同頻度で「終電逃した」を頂く。同じくらいに美味い。

皆、大抵が平凡な理由で終電を逃している。以前にも書いたが私は他人の生活が好きなもので、私にとっての「終電逃した」は、手軽にその人の一日の終わりを覗ける最高のワードなのだ。

稀にドラマチックな理由付きの「終電逃した」も存在する。それを見かけた際は、その先の展開を予想したりなんかして、ほんの少しだけお得な気分になる。チータラと、ちょっと贅沢してタン塩も買った日の様に。