私の中の童貞

恋をする人間ほど滑稽なものはない。特に、恋をする私はそのほかに比べて飛び抜けて滑稽だ。

 

どれだけ場数をこなしても、好きな人の前では挙動不審になってしまうし、Twitterを穴が空くほど眺めてしまうし、可愛く言えば、ドキドキしてしまう。

 

私はこの現象を、"私の中の童貞"と呼んでいる。

 

 

今日は好きな人の住む隣駅で打ち合わせがあったもので、「近くにいることを口実に彼をランチに誘ってみよう!」と思い立った。思い立ったと言うか、企てたというか。そして私はLINEで連絡を取ろうとする。とにかく自然になるようにと、一言一句消しては書き、消しては書きを繰り返す。そうやって作った渾身の一文を送るわけだが、送ったら送ったで怖くて返信が見られない。

 

なんだこれ。誰だよ私。童貞かよ。

 

昨晩は女友達どもと「自分の性欲がどれくらいなのか数値化してみよう」という話でむせるほど笑い、あげくの果てに性欲がないという友人に説教かましたりなんかしたのに。これではまるで知識ばかり豊富で女の体を知ったふりする童貞のようではないか。

 


なぜ処女でなく童貞なのかというところだが、上記の通りたくましく、男性的だからだ。ある年齢から性に寛容になり、そのギャップが生まれた時に童貞が生じるのだと思う。
それで言うと、逆に男性のそれは処女と呼べるのではないだろうか。処女ならば可愛らしいので、88歳くらいまで守り抜いて欲しいところだ。


私の周りで言えば、ハタチごろから女友達の間で下ネタを話せる雰囲気が出来上がった。その頃からのお付き合いになるので、もう4年、心の中に童貞を飼っていることになる。

 


この先何年のお付き合いになるかは分からないが、自分でもギャップに呆れる反面、この童貞、どこか愛くるしいのだ。

 

これからも、彼のことを客観的に観察しつつ、うまいこと共存していきたいものである。

そして私が脱童貞した暁には、またここに記事を書かせてくれないか。